歴史と沿革
日本福音キリスト教会連合(Japan
Evangelical Church Association)は、福音主義で超教派の宣教団体に起源をもつ四者が集まって1992年に設立されました。
第二次大戦後、日本での宣教が再開されると、多くの各国宣教団によって教会が生まれ、教会形成がなされました。教派宣教団による宣教の結果生まれた教会は、必然的に<教派教会>として形成されましたが、特に超教派宣教団による宣教の結果生まれた多くの教会は、同じ信仰告白に立つ教会でありながら、各宣教団を核に<宣教団の教会>として教会形成をしてきました。
このように多くの課題を共有しながら成長してきた福音主義の群れのひとつがリーベンゼラ・キリスト教会連合であり、日本新約教団であり、単立キリスト教会連盟であり、北海道福音教会協議会でありました。先ず教会連合の設立の母体となった四者と関連宣教団の歴史をたどります。
1.設立の母体となった四者と関連宣教団
リーベンゼラ・キリスト教会連合(Japan Liebenzeller Church Association)
リーベンゼラ・キリスト教会連合は、南ドイツのヴィッテンベルク州、バート・リーベンツェルに本部がある「リーベンゼラ・ミッション」の働きによって生まれました。
このミッションは(中国奥地伝道団、現在のOMF)のドイツ支部として、1899年、北ドイツのハンブルクに誕生しました。当初、宣教活動は中国および南洋諸島で行われていました。日本には、1927年、宣教師が渡来し、農漁民、労働者階級への宣教を開始し、いくつかの教会を形成しましたが、第二次世界大戦中と戦後の混乱期に、それらの教会は他の教団に所属するに至りました。
1951年再びモジマン宣教師が来日し、川崎市中野島に本部を置いて宣教を再開し、宣教の情熱に燃える宣教師たちが、主として茨城県下の農漁村に対して宣教活動を展開し、1961年までに13教会(うち2教会は神奈川県)を数えるに至りました。
1960年から1965年までの5年間は、宣教師と、宣教師会によって委嘱された日本人伝道者から成る「伝道協力委員会」によって、群れは運営されました。この5年間に、さらに8か所で開拓がなされましたが、そのうち4か所は神奈川県下でした。これは、茨城県で教会が自立するのは容易ではないことがわかったため、神奈川県で自給教会を作り、茨城県の諸教会を援助するのが目的でした。
なおこの期間中の1961年に、宣教師と同労の日本人伝道者によって構成される「リーベンゼラ日本伝道会」を設立し、1962年に宗教法人を取得しました。
続く1966年からの十年間は、団体が自らのあるべき姿を模索し、それを見出し、決定した期間でした。1970年から8年かけて、団体の進路を決定しました。即ち団体のあるべき姿は、第一に「信仰告白によって結ばれた団体であること」。第二に「教会の連合体であること」が確認され、1972年の教職者会で次の基本方針を決定しました。「リーベンゼラ日本伝道会は、日本における公同教会的方向を目指し、将来、主の導きがあれば、信仰告白を同じくする群れと合併する」。
そして1979年教会の成長に伴い、改組して教会の連合体としての「リーベンゼラ・キリスト教会連合」を発足させました。その目的は次の三つでした。
(1) 各教会が信仰告白をきずなとしてむすばれる。
(2) 各教会が協力して助け合う。
(3) 将来、信仰告白を同じくする群れや教会と一つになる。
以上がリーベンゼラの群が、教会の連合体になるに至った経緯ですが、リーベンゼラ・キリスト教会連合の特徴は、ドイツの敬虔主義の精神を受け継いでいるということです。すなわち地道な聖書の学び、個人的回心の体験、それに基づく敬虔な信仰生活、宣教の熱意の強調などです。言い換えれば、基本的教理において妥協しない福音主義の立場を取り、特に聖書の権威に関して強固な信仰(完全無謬性)を保持するとともに、正統的信仰箇条が守られているということだけでなく、その神学が日常の生活に生かされていくべきことを強調していることです。神奈川、茨城を中心に40教会と4伝道所。
日本新約教団(Nihon Shinyaku Kyodan)
(1) 極東福音十字軍(FEGC)
第二次世界大戦の終わり頃、マニラ駐屯米軍の中に多くの熱心なクリスチャンがおり、伝道活動をしていたが、終戦とともに、その一部が日本に移動して、孤児救済と伝道をしました。これらの活動に携わって来た者の代表16名が、帰米後の1947年に、デンバー市で「極東福音十字軍(ファー・イースタン・ゴスペル・クルセード=FEGC)」を設立して、超教派の宣教団体として活動を始めました。
当初は大衆伝道を主としましたが、後に教会建設を目的とするようになりました。1950年には約30名の宣教師が日本宣教に加わり、主に関東地方の山村へと伝道を開始し、順次教会が生まれて行きました。なお1981年に極東福音十字軍は名称が変更されて、センド国際宣教団(SEND
International)となり、日本や東南アジアに限らず、働きの範囲が広がっています。
(2) 福音宣教協力会の設立
極東福音十字軍(後のセンド国際宣教団)の働きによって東京、横浜、首都圏周辺地区と山梨や埼玉の農山村地に出来た15の教会のうちの9教会によって、1958年に宣教団とは交わりを持ちつつも、一応別個の組織として福音宣教協力会が設立されました。加盟したのは、東京新約(中野)、八王子、古里(青梅)、身延、韮崎、皆野、野上、東松山、泉(宇都宮)の9教会でした。
その目的は、何よりもキリストのからだなる教会の形成というところにありました。協力会は<極東福音十字軍の働きによって誕生したいくつかの教会が、相互のより緊密な交わりを進め、協力、懇親、連絡等にあたり、イエス・キリストのからだなる教会の形成に励みたい目的をもって>発足したのです。それぞれが宣教師によって創設された教会であったため、創立当初には政治的、経済的、組織的自立に手間取ったものの、各教会は徐々に自立の態勢を整えました。
(3) 日本新約教団の設立と特徴
ところが、このような教会の交わりを主体とした福音宣教協力会では、歩み始めたばかりの教会の直面している様々な問題への対応の面においても、また教会の本来あるべき姿という面からしても、十分かつ適切なものとは言えませんでした。そこで、3年後の1961年10月、より深い教会的一体性を求めて日本新約教団を組織しました。(このとき教団に加わったのは、八王子、青梅、東松山、野上、富士見が丘、寄居、甲府、身延、都留、横浜の10教会でした。)
「キリストのからだである教会」の建設という目的は受け継がれ、より積極的に取り組まれていくことになりました。そして単に一教会だけでなく相互の教会においても責任をもつ教師を任命するための教師検定委員会を発足させました。1968年には「教団のこれからの方針と幻」を発表して教団の基礎を固めました。また1981年にはカンボジア難民のための宣教師を派遣しました。
日本新約教団は、このようにセンド国際宣教団の働きを土台として形成されてきた教団ではありますが、明確な聖書信仰に立つということの他は、特定の教派信条を持つ教派教団ではありませんでした。信仰告白委員会の働きを中心に、教会観(教団と各個教会のかかわり、教団の組織・運営のあり方等)について、教会観の歴史的な学びを続け、本来一つである教会が、どのように、実際的、具体的に一つになってゆけるかは、新約教団の大きな関心事であり、目標でした。教会連合設立の時点で、日本新約教団に所属していた教会の数は関東周辺と沖縄とで31教会です。
単立キリスト教会連盟(Association of Evangelical Churches in Japan)
(1) TEAM(The Evangelical Alliance Mission)
単立キリスト教会連盟は設立当初よりTEAMとの密接な関係にありました。TEAMは1891年に創設されたスカンジナビア・アライアンス・ミッションが前身です。在米スウェーデン人の篤信な信徒たちによって結成された伝道団体であって、創始者フレデリック・フランソン(1852〜1908)師の指導と祈祷により、次第に発展、多くの宣教師が世界の各地へ派遣されました。中国奥地伝道団のハドソン・テーラーが「中国に千人の宣教師を与えよ。」と世界の福音主義キリスト教界に訴え、この叫びに呼応してフランソンは宣教献身運動を欧米各国で展開したのです。1949年に宣教団はゼ・エバンゼリカル・アライアンス・ミッションと改称しました。
(2) 単立キリスト教会連盟の設立と特徴
単立キリスト教会連盟は、1964年12月にTEAMの宣教師によって形成された教会と、背景の異なる単立教会が懇談のために集まったことから始まりました。
それまで関東地区のそれぞれ背景の異なる単立教会の協力機関の必要が痛感され、非公式に懇談が重ねられていましたが、一方ではまたTEAMのうちに教会協力機関設立の動きがあり、これら二つの動きが摂理的にひとつのものとなり、熱海で会合がもたれたのです。その懇談の目的は、単立の教会であることで陥りやすい孤立や独善の危険を避け、本来一つであるキリストのからだにつながるものとして、共に教会の使命を担いあっていくにはどうしたら良いかを探るためでした。
1965年3月に東京世田谷の朝顔教会で設立総会が行われ、1965年4月1日単立教会が協力し、キリストのからだとしての教会全体の中で自らを位置づけ、その責任を果たしていくという目的の下に18教会が加盟しました。
1973年には東洋ローア・キリスト伝道教会(東洋ローア・キリスト伝道教会は、ろう者としての特別な必要から、ろう者の、ろう者による伝道を目指しています。)が単立連盟に加盟しました。
単立キリスト教会連盟の特徴は、連盟加盟の各個教会の自立性を土台にし、共にキリストのからだに属する教会としての交わりと協力を持っている点にありました。その意味で、連盟は団体として各個教会の自治を犯さないものとしての位置づけをしてきました。そのために、当初から、連盟とは、あくまでも各個教会間の協力機関であって、教団化したり宗教法人法による包括団体になることが、規約上できないとされていました。
連盟は(i)聖書的正統信仰の保持(ii)各個教会の自立(iii)教会の一致と協力という三本柱としました。特に教会の一致と協力に関しては、連盟は加盟教会の間だけでなく、その周辺にある教会、教派、教団を含めてのキリストの教会の一致と協力に役立つ存在とされること、つまり、福音主義の信仰告白と会衆政治を共有する群の協力および同じ信仰的告白に立つことを根底とした活動を目標として掲げました。
連盟は(1)北海道・東北、(2)関東、(3)中部、(4)四国の四地区に分かれ、地区の教会間の交わりがなされました。北海道から沖縄まで58教会。
北海道福音教会協議会(Hokkaido Evangelical Church Association)
(1) 国際福音宣教団(Overseas Missionary Fellowship OMF)
国際福音宣教団はハドソン・テーラー(1832〜1905)が創設した中国奥地伝道団が母体です。
ハドソン・テーラーは1865年に中国奥地伝道団を組織し、杭州、楊州をはじめ、広範囲にわたって盛んな宣教活動を展開しました。困難な諸問題に直面しながらも、その不屈の精神と強い信仰に支えられた勇気をもって乗り越え、またできるだけ現地民の風俗習慣にそった生活をなし、それによって、多くの人々に感化を与え、同宣教団の会員も増加して、その活動は発展しました。
そしてハドソン・テーラーの死後も同宣教団は発展しましたが、1949年の中華人民共和国の成立のため、宣教師たちは中国から国外退去をしなければならなくなり、名称を国際福音宣教団と変えたのです。
(2) 北海道福音教会協議会の設立と特徴
北海道福音教会協議会は、中国において革命後伝道が不可能となって1952年に来日した国際福音宣教団によって、青森と北海道道南の森、倶知安、日高門別、様似、三笠、赤平、歌志内、更に札幌、函館、砂川、小樽、千歳、岩見沢で、<未伝地伝道>として開始された宣教活動によって形成された教会が集まってできました。青森では青森県福音キリスト教会協議会が誕生しました。
国際福音教会協議会の宣教師によって形成された教会の信徒が霊的向上と信仰の育成・強化のため互いに協力して年一回新年聖会を持つようになり、1962年にはじめて、協議会発足のための相談会が開かれました。傘下の各個教会は開拓当初からOMFによって連携による教派形成を抑制されていたため、主活動を交わりに限定した会とすることで一致し、1965年1月3日、北海道福音教会協議会が組織されました。1966年4月29日の総会で承認された規約は、北海道における福音的聖書信仰に立つ教会の向上のために、霊的な交わり、宣教活動の協力、経済的互助を行なうことを目的としました。
その後、教会の責任は次第に宣教師から日本人教職者の手に移行し、1972年に設けられたOMFとの間の連絡機関も1984年に発展的に解消し、協議会に加盟する各教会がイニシアチブをとって開拓伝道をすすめるためのOMFとの協力機関、開拓伝道委員会を設置しました。1985年には、北海道聖書学院を、協議会の推薦校とすることを決めました。24教会。
2.日本福音キリスト教会連合設立までの経緯
1968年5月、信仰告白と教会政治をほぼ同じくするリーベンゼラ、新約、単立連盟の三者の教会協力委員による第一回教会協力委員会が開かれ、協力や合同についての公式の話し合いがなされました。1980年4月三者が連合することについての基本方針が確認されました。
1986年4月、三者は組織的合同への中間的段階としての「キリスト教会中連合」を発足させました。その後1987年に北海道福音教会協議会が中連合に加わりました。四者の代表によって構成された中連合協議会と合同専門委員会の働きによって、また、四者のそれぞれの実行機関と諸教会との話し合い等の働きによって、合同への準備が徐々になされました。
四者は「教会は、キリストをかしらとするからだとして一つである。この祝福された事実は地上の教会のいとなみの中で告白され、証言されなければならない。同じ主によって建てられながら、それぞれの生い立ちの背景や、そのあり方、言語表現の違いなどによってへだてられた地域教会、教団が、できる限りそのへだたりを解消し、聖なる公同の教会に属するものとして、よりふさわしいあり方の具体化を求めることは主のみこころであると信じる。」(規約前文から抜粋)との理想のうちに燃えて、それぞれの組織を解消して、1992年4月29日、横浜で主の摂理のうちにキリストにある「日本福音キリスト教会連合」(略称:教会連合/JECA)を設立しました。
日本福音キリスト教会連合発行「クリスチャン・ハンドブック」より